尾針得介 の OQM-10

秋・木津川と三国越林道ドライブ 104km

開催期間: 8月25日から10月27日。 解答提出〆切:11月1日必着。

有料です(1チーム、2000円)


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コース全体図

 今回は10回目を迎えて、ぜひ関西で作成してほしいとの声があり、PDccの関西支部長の辻通夫さんのドライブでコースを走った。車はセカンドカーのミラターボ。メインのポルシェボクスターは狭い道があるのでやめたのだが、それも厭わずポルシェボクスターで伴走して来たのは関西ラリー界では有名な姫路工大自動車部のOBである橋本泰明さんです。PDラリーの頃から木津川周辺の山々を走り回っていた。司馬遼太郎が直木賞を受賞した「梟の城」の冒頭に「おとぎ峠 伊賀の天は、西涯を山城国境い笠置の峰が支え、北涯を近江国境いの御斎峠がささえる。笠置に陽が入れば、きまって御斎峠の上に雲が湧いた。」昭和34年の作品である。この時の司馬遼太郎は峠に登ってはいなかった。昭和50年に週刊朝日に連載された「街道を行く」の「甲賀と伊賀のみち」で初めて御斎峠を登ったという文章を見てPDラリーをレイアウトしたのを思い出した。昭和48年に開通したのだが、その頃の地図には御斎峠の名称はあったが、峠越えの道が載っている地図はなかった。ダートの峠の展望の良い場所にある碑に、何故か「御斎峠跡」とあるのが印象的であった。その後何回も越えたが、ある年の正月の雪の峠越えが特に想いで深い。しかし、ゴルフ場ができて、道が倍以上に広がり普通の道なってしまった時……。本能寺の変で堺にいた家康が御斎峠を越えていったという話も、その雰囲気も、私の思いも消えてしまった。でも、も一度越えてみたいと思っていた。

 スタートはJR奈良線玉水駅にするが、利用客は少いものの駅前はやや狭い。準備を済ませてからスタートラインについて、素早くメーターをチェックしてスタートしてほしい。玉水駅のある井手町は史跡の町で天平3年(731年)に橘諸兄により創建された玉津岡神社。小野小町の墓などあるが、道が狭くてコースに入れることができなかったのが残念であった。日本六玉川の一つという玉川沿いに山間の道を辿る。地図を見ると分かるが面白いことに、この道だけが井手町の行政エリアで、その他はすべて和束町という他では見られないものです。白栖から山際にある古い集落の中の道を辿るが、道は狭いので安全運転に徹していただきたい。山の中腹にある海住山寺には国宝の五重塔がある。鎌倉時代の五重塔としては現存する唯一のもので、少々小振りな塔だが、法隆寺の五重塔と同じ裳階がある。これはこの二つの塔にしかないものである。全国で五重塔・三重塔を幾つも見てきたが、どこでも目にしたものがこの塔にはないのに気付き、クイズにすることにした。奈良の大仏を建立した聖武天皇は何故か都を遷し続けたが、その一つ恭仁京は740年から僅か3年2ヶ月の短命の都で、廃都のあとは国分寺となって栄えたという。1260年も昔のことで、その跡を物語るものは大きな礎石が残っているだけである。最古の貨幣である和同開珎を鋳造した鋳銭司は全国に3ヶ所あった。その一つの鋳銭司跡が国道163号線ぞいにあるが、交通量が多くてとても駐車していることができない状況なので、残念ながらパスした。木屋峠に登る時に木津川を眺めて、その昔、PDラリーのコース設定の時、夕暮れ時にこの峠から木津川の対岸にダート見つけて、喜んだのを思い出した。しかし、その喜びもそのダートを電車が走ってきてがっくりしたのも、懐かしい思いでの一つです。
 三国越林道は京都府、三重県滋賀県を貫いて走る長大な林道で、けして眺望は良くないが軽いアップダウンとコーナーの続く道は楽しいが、あまりにも長いので変化を求めていったん降りて、木津川を渡ることにする。上有市の冠水橋(関西では潜没橋という)で木津川を渡って布目川沿いに走る。右岸の道は狭い林道という感じの道だが、左岸に渡ると道幅は同じでも左右から夏草が生い茂っていて、後ろのポルシェボクスターが心配だったが、平然として草をかき分けてついてくる。秋になれば夏草の勢いも衰えて、道も広くなると思います。ゴルフ場の脇を通るが、ここは昔、ゴルフ場造成中につぶれてずいぶんと長い間、荒廃したダートラ場のような感じで放置されていた。辻さんもここで走ったことがあるといっていた。でも、現在のこの素晴らしい状態を見れば、その話を信じて貰うことは難しいと思う。川沿いの道を行くとカヌーハウスがあり、前の川で2隻のカヌーが急流の中で楽しんでいた。私にとってはとても懐かしい風景である。そういえば東京オリンピックの頃からカヌーを作っていた藤田カヌーは笠置町にあるが、今回は寄る時間がなかった。
 童仙房に登る道は入口は昔のままだが、かなり改良されて走り良くなっていた。もちろんダートはなくなっていた。ところで、このコースは食堂はおろかコンビニなどの店も全くない。民宿童仙房山荘の看板にいのしし鍋や地鶏鍋の文字がある。取りあえずそこを目指して行くことにして、農作業をしていたおやじさんに尋ねると、それはわしの家だということで、食事を取らせて貰うことにしたが、素晴らしく立派な民宿で驚いた。この辺りはフリーの客は全くなく、豆腐を買いに行くにも三重県か滋賀県まで行かなければならないということで、予約でお受けしているという、我々は特別に地鶏鍋を作って貰った。準備の間にご主人の井上清文さん話を聞くととても面白い。元は村の建設課の課長さんで、自分のロマンを実現するために村興しを始めて、民宿を作ってしまったそうだ。奥さんは民宿のことを勉強するまもなく、周辺の役場の宴会が次々と続いて困ったという。ご主人はアイデアを次々と出すけれど、実行するは奥さんに任せっきりとのこと。ちなみにご主人の肩書きは宅地・建物の免許は当然、行政書士・測量士補・林業技士・1級土木施工管理技士……建築施工・管工事・電気工事・造園施工・安全衛生管理……。まるで資格マニア、でもここでは必要なのだという。現在、別荘地の売り出しをしているが6千坪はわしの土地だとさりげなくいう。ミュンヘンへいった時、ビアホールで民謡を歌って踊ったら大人気だったそうで、今度行く時は法被と鉢巻きを持って行くのだと張り切っていた。畑で出会った時は、普通の農家のおっさんという印象で、こんなスーパーマンとは思いもしなかった。とても楽しい家族なので時間に余裕があればぜひ予約を入れて会話を楽しんでください。でも、クイズの答はダメです。自分の頭で考えてください。
 再び三国越林道を走る。童仙房地内は改良されて広い道だったが、野殿からは本来の快適な林道になる。島ケ原村は珍しくもこの林道を観光パンフレットに載せていて展望台も設けていた。島ヶ原には面白そうなところがたくさんあるたが上手くコースが取れなかった。盧鳥宮神社の石灯籠の大きさに驚くとともに、機械のない時代にこの巨石をどのようにして組み立て、バランスを取ったのだろう。クイズにしたいが答がわからない。「街道を行く」に、この道は古いのかと尋ねて路傍の町石(丁石)を教えられる話が出てくる。「町石というのは山坂一町ごとに建てられた石で、登ってゆく行者のために、あと何町登ればよいという励ましをあたえてくれる標識である…」その丁石がある道ということは、司馬遼太郎もこの道を辿ったのに違いない。
 クイズの材料を探しながら行くと、面白い物を見つけることがある。延寿の森というおめでたい名称の所在地が西高倉地獄谷というのはなんとも奇妙で面白い。御斎峠はやはり昔の面影はなくゴルフ帰りの高級乗用車が次々と降りてくる。その為に道を広くしたのだろうかと思いたくなる。峠の思い出はやはり「御斎峠跡」の碑だけになってしまった。もちろん、その碑が設立された当時とは又違う意味合いで「跡」だと思う。御斎峠の名称はどこからきたのか気に掛かっていたが、後醍醐天皇、足利尊氏などが帰依した臨済宗の高僧、夢窓国師がこの峠で村人から食事(斎)をもてなされたことからだという。
 最初予定していたゴルフ場脇の道はダートだった。路面もあまり良くないので残念ながら予定を変更しなければならなくなった。迂回は大きすぎてゴールも変更することにする。しばらくぶりに信楽の狸の群れを見ることにした。信楽もずいぶんと新しい物ができていて面白い。ユニークな狸や巨大な狸など狸の群れを見て歩くだけでも楽しめる。この狸を日本中で見掛けるが、そういえば矢木くんのダンガンラリー(クイズ&ドライブです)の賞品で信楽の狸をばらまいているという。日本中で見掛けるのは矢木くんのせいなのか…。納得!

情報:民宿童仙房山荘。童仙房のスーパーマン井上清文さんの店、実際には奥さんの腕で持っている。話は楽しいし、食事も美味しい。ただし、予約しなければならない。値段は2千円くらいで、内容なども予約時に交渉してください。こういうのもたまにはよいでしょう。宿泊も1万2千円くらい、これは最高の食事でおもてなしをするという。秋になれば地元の松茸を初めとする市場にでない茸のオンパレードになる時もあるという。これも交渉してください。クイズを解く時は迷惑を掛けないようにしてください。TEL07439−3−0224


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