尾針得介 の OQM-5

夏の信州!いにしえの街道92km

開催期間: 6月30日から8月26日。 解答提出〆切:8月31日必着。

有料です(1チーム、2000円)


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コース全体図

 OQMは皆さんの熱烈なるご支持と矢木雅人くんの強力な援護、そして須貝昌郎さんの事務局としての支援。石垣勤さん、内藤三樹郎さん、堀口修一くんなどの手助けをうけて、無事に2年目を迎えることができました。皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 さてさて、1周年を記念して8月5日(日)に「全員集合」をするので、それにふさわしいコースと会場を用意し、時間が掛からないように、クイズを少くなめにという指令があった。それで開催場所はの日本の真ん中の信州で集まりやすい木曾と伊那にすることにした。アシスタントはいつものとおり矢木くん。ところがアクシデントが発生!矢木くんと私の車が使用できなくなってしまったのだ。(理由は絶対!に秘密です)やむを得ずレンタカーで試走しましたが、後日正確に計測したので信頼してください。コースは「日本の中心」をメインにして変化に富んだ楽しいコースができたのだが、困ったことにおもしろいクイズが沢山できてしまい削除しきれず、クイズを少くという事務局の要望に添えなかったが、内容はかなり充実したものとなったと思う。そして、DVDのカーナビにも記載されていないルートも走っているので面白い。
 スタートは塩尻の道の駅小坂田公園にする。ODまで初めは当たり前のルートで作っていったが、2kmを過ぎた山の中で大渋滞に遭遇してしまった。なんとチロルの森に行くファミリーで、2千台の駐車場に入りきれず、そこから4〜5kmはある。最後尾の車は営業時間中にたどり着けるのかなぁとひとごとながら心配したが、本当は自分達の方がパニックになっていた。どのようにしても大渋滞の道に出てしまう。R20を使うと信号のない交差点で右折しなければならない。交通量の多いR20ではそういう設定はしたくないのである。結果的にはコマ図は多くなったが、雰囲気のよい道を走ることができた。万が一今回のような渋滞があっても300mほどの区間で済むのでよしとする。PDQMの頃もODまでをいつも苦労していたことも思い出した。塩嶺王城パークラインはガイドブックにも載っていない観光ルートだが、景色もよくなかなかよい道である。ただ、少々短いのが残念だが、途中にあるしだれ栗森林公園が素晴らしい。野外活動の拠点としての施設もよいが、なんといっても天然記念物のしだれ栗の純林が素晴らしい。しだれ栗の巨木の異様な姿に、自然の造形の凄さを見ることで感嘆する。
 今回の大きな目的の一つである日本中心の標に向かう林道にはいる。一部に粗い路面もあるがほとんどが快適な路面の長いダートで、特にダート走行のテクニックの必要もないフラットな路面で楽しめる。ただし、ほとんどが林の中で眺望は望めないが、日本中心の標の隣りにある展望塔からの眺めは素晴らしい。360度の展望があるが、見える山々の案内図がないので、どの山が見えるという楽しみがないのがとても残念である。ぜひ地図持参で展望塔に登られるように。さて、日本中心の標は何の変哲もないところにさりげなく設置されている。緯度経度が記されているだけで何にもない。その根拠の説明も碑以外の施設も全くない。他県の日本のへそや日本の中心などと称しているところは、立派な施設が多いが、これだけほったらかしにされているのも珍しい。日本の中心だというその根拠をクイズにはしなかったが考えてみるのも面白い。下りは舗装になり、林の中のつづら折れの急な道を一気に下る。辰野の町には他にも沢山の名所がある。日本最古の道祖神や変わったところで戦艦大和の碑などもある。松尾峡は大正の昔からホタルの名所として有名なところだが、今回のコースには使わなかった。小野宿の手前で左折するが、余裕があったらば宿場の面影を残している町中を見るのもよいと思う。これから行く奈良井宿とは違うたたずまいの宿場町である。
 江戸時代初期の慶長6年(1601)中山道が制定され中山道は岡谷から三沢峠を経て小野宿。そして牛首峠を越えて木曾路の桜沢に通じていた。元和2年(1616)塩尻峠越えのルートが開かれて、中山道は現在のルートになった。牛首峠が公道であったのはわずか15年であった。そのいにしえの中山道を味わうようにして越える。最新の地図に峠からR19まで通行不可の文字がある。峠の先にも1.8mの車巾制限があるが、道は狭いながら真新しい路面でよく整備されており、その古い制限標識は関係なくなっていた。
 「木曾路はすべて山の中である。・・・一筋の街道はこの深い森林地帯をつらぬいていた。東ざかいの桜沢から西の十曲峠まで、木曾十一宿はこの街道に添うて二十二里にわたる長い谿谷の間に散在していた。・・・」島崎藤村の「夜明け前」の冒頭にあるように、谷間の狭い土地に集落がある。R19を避けて交通量の少い旧中山道を走るようにする。贄川宿には尾張藩が設けた関所があった。その関所が復元されているのだが、その場所がまったく目に付きにくい場所にあるのが面白い。平岩弓枝の「御宿かわせみ」の中の「錦秋中仙道」に奈良井の檜細工(漆器)の木曾屋新助が登場する話がある。その江戸時代から有名な木曾漆器の産地平沢で、狭い道沿いに軒を連ねて建ち並ぶ店がすべて木曾漆器の店で、いくつかの店がまるで美術館のような美しいデスプレイで道行く人の目を楽しませてくれている。車を止めて覗いてみてください。あなたの気に入った器があるかもしれません。
 中山道の難所、鳥居峠を控えた奈良井宿は木曾路十一宿で最も大きく、奈良井千軒といわれるほど栄えていた。その町並みがほとんど江戸時代そのものの姿で残されているのは、奇跡としか思えない。妻籠、馬籠ほどの観光客はないがスケールが違う。これほどの規模の重要伝統的建造群保存地域はあまりないと思う。奈良井は三つの町からなり、下町は間口の狭い家が並び、道が広くなるとそこが中町、本陣や脇本陣、旅籠、問屋場などがあり、家の間口も広くなり、旅人で賑わった町の面影をそのまま残しているのが素晴らしい。町中に旅人のための水場が六つある。自然の湧き水でとても美味しい水である。が、一つだけ水道水がある。といっても都会の水道のようなカルキ臭くはなく結構美味しい。番外のクイズとしてどの水場か当ててみてください。 
 「伊那の谷からの通路にあたる権兵衛街道の方には、馬の振る鈴音に調子を合わせるような馬子唄が起こって、米をつけた馬匹の群れがこの木曾街道に続くのも・・・」(夜明け前より) 権兵衛街道は元録9年(1696)伊那と木曾を結ぶ鍋掛峠を牛馬が通えるように改修したのが木曾の古畑権兵衛で、伊那と木曾の物資の交流が盛んになり、権兵衛峠と呼ばれるようになった。PDラリーの頃、この峠を通るつもりだったが路面が悪く諦めた思い出がある。今は国道となってスムースに通れるようになった。特に展望が良いというわけではないが、中央アルプスの端を横断するという希少価値に人気があるのか、この長い峠道をドライブする車は多い。現在この峠に地元の人々の期待のトンネルが掘られている。トンネルが開通してもこの峠道は残しておいてほしいと思う。

 ゴールは「まほら伊那羽広温泉はびろ農業公園みはらしファーム」というやたらに長い名称の施設にする。南アルプスの眺望も素晴らしく、様々な施設はとても賑わっている。

「全員集合」は8月5日(日)伊那羽広温泉「羽広荘」で行います。詳しくは公式通知を見てね。

 一周年記念のOQM−5(尾針得介の元祖クイジーマップ)にご参加いただきましてありがとうございます。
 今回のコースは観光地長野県でもあまり知られていない道と、江戸時代の町の奈良井をメインに作成しました。スタート場所の道の駅小坂田公園は塩尻ICを出て左折です。広い場所ですがスタートしてすぐR20をくぐる場所で、すぐわかると思います。日本の中心という場所の展望塔からの眺望は素晴らしいですが、日本中が見えるわけではありません。が、そこへ辿る長いダートが楽しめます。また、奈良井の町中でたっぷりと江戸時代の雰囲気を味わってください。今回の食事どころは特に推奨する店はありませんが、手打ち蕎麦の店が至る所にあります。ゴールにある食べ放題の店「とまとの木」はゴールする頃はティータイムだと思います。 伊那は独特の食事がたくさんあります。ダチョウ料理、ローメン、寒天料理、ざざむし、蜂の子などお試しになっては?


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